昨日の記事には1回目の卵巣嚢腫について、
サクッと書きました。
サクッとかけるのも、当時の私は楽観視していて
悩んでなかったので、記憶が薄いのです😭
でも、後にその雑な考えが複雑な方に転んでしまうのです。
2017年、二回目の卵巣嚢腫になりました。
今回は右卵巣がはでてしまい、激痛で夜中に救急車に運ばれました。
結婚して2年程でした。
結果、右卵巣全摘し、左側卵巣も少し腫れていたため、また核出手術になりました。
ただでさえ、小さかった左側卵巣がさらに小さくなって残りました。
先生に『妊娠がかなり難しい状態なので、不妊治療を早めに』と言われました。
ショックで泣きました。
しかし、不幸中の幸というべきか、手術してから2日位たって、予定日に生理が来ました。
「妊娠の可能性は0じゃないんだ」と少しホッとしたのを覚えています。
見舞いに来た主人は私に気落ちして欲しくないと思ったのか『親とも話してたけど、子供が出来なくても大丈夫だから』と。
違う、私が欲しいの。
心の中で叫んでいました。
そんな悲劇があったのに
妊活を始めたのは2020年7月位から。
私と主人は付き合っていた期間が長いせいか仲は良かったのですが、夜の営みは最後まで出来ませんでした。
その頃、外部環境も変わり、
私も仕事もうまくいかなかったり、
主人も仕事と私の手術による精神的な影響で一時期、適応障害と診断されました。
生理は順調に来ていて、安心していたせいか、
私もタイミング見て子作りしたい旨を伝えるつもりが
言ってはまた延びて、言ってはまた延びて…
2019年には、新築住宅を建て、主人の両親と二世帯住宅になりました。
それまでの建設過程がかなり大変で審査やら書類手続きやらで、忙しさにまた妊活が遠のきました。
そして、一緒に住むことになった義理の両親は凄く優しくて楽しくて、本当に助けられています。
義理の妹に、不妊治療で授かった可愛い娘2人がおり、義理の両親もその子たちの存在が大きくて、決して私に妊活や孫の話はしてきませんでした。
きっと気を遣ってくれていたと思います。
一方で、私の両親、特に父は不妊治療について時々触れてきました。
私と父は、性格的に似ていて、父は私がまだ妊娠に希望を持っていることに気付いていました。優しくいってくれましたが、兄弟も結婚していないため、孫の顔は絶対見たかったんだと思います。
そう、子供が欲しい。
不妊治療で有名な地元の病院を調べたり、
良くしてくれている女性のお客さんにも娘が不妊治療したなどの話を聞いて、
病院を聞いたり
それでも、前に踏み出せず、月日が流れました。
周りの友人で結婚している子は私以外みんな子供がいました。
それが辛くなって、また仕事もやる気がなくなって
不安や絶望感から解放されたい気持ちでいっぱいになりました。
そんな時、キャンプが流行っていて、
小さい頃、キャンプ好きの父に連れられて行きましたが、それから十年以上もいっていませんでした。
懐かしさとキャンプの開放的な空間、自立的な遊び方に心惹かれ
自分一人で始めることにしました。
そうやって、キャンプを始めてからYouTubeを見るようになったり、
ブログやまとめサイトも見るようになって
インターネット配信に無限の可能性を感じるようになりました。
話はそれましたが、妊娠に対する絶望感からキャンプによって救われ
またキャンプからブログなどインターネット配信に関心を持ち
そして、ゼロイチからスタートする勇気を持つことができ
妊活への本格的な一歩を踏み出すことができました。
その一歩は
地元の不妊治療専門の病院が主催しているセミナーへの参加でした。
この続きは明日記事にします。